私たちの世界とは別の次元。我々の世界では魂は肉体のうちにあるものだが、その世界では魂は“ダイモン”として人々に寄り添う。
そんな世界でライラ・ベラクア(ダコタ・ブルー・リチャーズ)は暮らしていた。両親のない彼女は寄宿学校に預けられ、いつかお嬢様になるように育てられている。だが、ライラは本当は冒険に憧れていた。そんな彼女に美しい女性が言う。「私の助手として北の大地に来ない…?」。ライラはにこりと頷いた。
人気ファンタジー小説を映画化した三部作の第一弾。
はっきり言って尋常じゃなくおもしろかった。
これはおもしろい。
元々小説の作品で、主人公が『ダレン・シャン』や『ハリー・ポッター』のように普通の人間でないため、アナウンス等で補足される知識以外は「最初から知ってる設定」で話が進んでいきます。これは仕方ない、と割り切っても大変でした。
“マジステリアム”や“オーソリティ”に関しては数度観賞した今でもぼやっとしかわかりません。この辺りは、原作で補足していくしかないでしょうね。名前聞かされて「こんな組織だよ」と言われたくらいじゃ、あれだけ作り込まれたファンタジー世界のことは理解できなくて当然です。
でもとにかくすごくおもしろいの!
おもしろすぎてどれから書いたらいいかわかんないけど…。
とりあえず種族について。
この世界にはいろんな種族がいます。ライラは普通に都会に暮らす人間だけど、他にも空に生きる魔女、そして水に生きるジプシャン、北のクマ…。おそらくならず者らしいゴブラ一族や、狼のダイモンを従えるタタール族、北の大地で生きるエスキモーのようなサモエド族も出てきました。
そしてダイモンを持てるのは、この中でも人型の種族だけ。クマたちにダイモンはありません。
そのダイモンですが、映画で見るだけでも興味深い特色があります。
見ていると、女性のダイモンは男性、男性のダイモンは女性なんですよね。その上でダイモンが魂とされていることを考えると、誰にでも男性性と女性性があり、外面に裏付けられたより強い性質が表に出るけれど、うちには相反するものが含まれている、という作者の考えがあると深読みしてるの。この辺は、原作読んでみないとわからないけどね。映画を見た限りでは、私はそう思った。
そして、子供のダイモンは自由に姿を変えられるけど、大人のダイモンは固定されています。これは個性の確立によるもの?ダイモンの姿から彼らの内面を察することができそう。
また、他人のダイモンに触れることは失礼とされていて、ダイモンが攻撃を受けると主人もダメージを受けます。これを考えると不思議な行動をコールター婦人(ニコール・キッドマン)がするのですが、これは何かを象徴してるんですかね?わからなかったので一人SMと思っておきました。
ダイモンという存在は、私たち誰しもが経験する心の中の葛藤を、理解しやすい形で書き起こすための工夫にも見えるね。
ダイモンが彼らの一部であるなら、その対話は心の葛藤と言えるもの。
それを切られてしまうとはどういうことなのか…?想像するのもおぞましいです。
この映画、基本的に主人公のライラが戦わないんですよね。知識や言葉を操って、戦わずに済む方法を取ろうとしたり、誰かが戦いやすい状況を作ろうとする。彼女の役割はそれがメインで、そこも好感を持てた。
最後の最後でやっと武器を取るんですが、そのときもさすがライラ様ですよ!そうですよね、そっちの使い方ですよね!しかも重みのある方を、遠心力を利用して叩きつけるとは素敵ですライラ様!
そういえば、ラストで火ぃかけちゃったけど、あれはいいんですか?彼のダイモンは?
見てると、主人が死んだダイモンは霧散しているんですが、彼のダイモンは無事なんでしょうか?
この状態で二部製作が無期限延期となっているのがもどかしいです。興行収入の問題…?でもとてもおもしろかったですよ。
もちろん小説原作なので展開は早いし(特にイオレク・バーニソンとの出会い。恐ろしくカットされていると思われる)、そのため詰め込みすぎな部分もあるけれど、それでもおもしろいし興味深い。
早く二部が見たいです!
あとこれは個人的なことなんですけど、
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